Yoriko Ichinomiya
Yoriko Ichinomiya

アーティスト情報

一ノ宮頼子

3歳からYAMAHAでピアノを、 6歳から音楽理論を学び、クラシックの作曲をはじめる。YAMAHA・JOC(ジュニアオリジナルコンサート)のコンクールに出場。サッカーでは 12歳から読売ベレーザ(現 日テレベレーザ)に所属し なでしこリーグ出場。1990年オールスター東日本代表選手。 その後 早稲田大学進学のためにサッカーを引退しダンスに没頭。大学を休学し ニューヨークでダンス修行。ジャズダンス・モダンダンス・バレエなど 何でも踊る。 帰国後、モデル活動をはじめ、CMやショーへの出演を行いながら、楽曲制作を始める。1999年度の全国オーディションにより12000人の中から選出され SMA(ソニーミュージックアーティスト)に所属。TV・FMラジオにレギュラー出演しつつレコーディングを行いマキシシングル『 媚薬 』を発表。MIDI Recordへの移籍後 1st Album『 chaos 』を発表。その後北米大陸を放浪中に出会ったアイスホッケーと恋に落ちる。帰国後まもなく音楽活動を休止し、アイスホッケーをするために北海道へ移住。 北海道でジャズダンス・インストラクターやFM-Jagaでのパーソナリティ活動を行いつつ アスリート生活を。アイスホッケーでは日本女子最高峰リーグでプレーし、カナダにて公認コーチングライセンスを取得。カナダ代表選手に混ざりサマーキャンプのボランティア参加。インラインホッケーでは日本女子代表キャプテン/アシスタントキャプテンを務め 世界選手権4回・北米選手権7回出場。2007年3月にアイスホッケーを引退。第二の故郷となった北海道で音楽活動を再開。 北海道 → 東京→ 横浜 2008年から音楽活動に専念。アーティスト名を本名の「一ノ宮頼子」と改め 東京都内を中心にアコースティック・ ライブの活動を再開。2008年春に癌が発見され 日本代表キャプテンとして出場するはずだったインラインホッケー世界選手権ドイツ大会を諦め 手術。療養期間にレコーディングを行い 自主製作盤『ひかり』を発表。 安静療養期間に大型犬3匹を連れ 車で日本一周。40日の旅の間に 驚くほど早く回復。 FM COCOLOほかFM局でのレギュラーパーソナリティを務め 2010年 2nd Album『 丹後恋唄 』をリリース。クリエイティブなアプローチと類い稀なウィスパーボイスは葬式フォークと言われ 海外からのファンも多く集める。収録曲「さよならのうた」2012 公開映画『庵治石の味』(片岡秀明監督作品)主題曲。2014.・2015年にはアーティストのためのサッカー・ワールドカップである Art Football(ロシア・モスクワ)に招待され大会史上初・唯一の女子選手としてプレー。野外ステージで行ったライブではロシア全土にテレビ放送され観衆から大歓声を浴びる。2019年 スティーヴ・エトウ(Perc.)中村哲(Sax.)河合徹三(A.Bass)深澤秀行(Syn.)というレジェンドアーティストたちを迎え、アルゼンチン出身の鬼才 Fernando Otero との初コラボレーションを含む 3rd Album 『Buenos Aires』を発表。生まれ育った街・横浜で猫二匹と暮らす。

ジャンル:J-pop
活動エリア:横浜 → 東京 ←→ N .Y.
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