

アーティスト情報
アイニイキルZmarkⅢ1968年生まれ56歳:遅咲きの活動は14歳から、世界デビューは2025.8.25。
14歳から音楽制作開始。
17歳でエレキギター。
25歳で弾き語り。
30歳でFM-KOUFU「電撃TAMAGO」出演。1996.12.26放送分。7曲オリジナル曲を放送。
56歳でTUNECOREJAPANを介して個人レーベルRulerant(ルーラント)から世界デビュー。
2025.8.1、Rulerantを正式開業。久留米税務署に届け出。
2025.10.27に地域のシェアハウスでミニライブ。
2025.10.29水曜日14時35分から10分間に福岡県久留米市ドリームスFM生出演。
小説も書いてます。
普段は、カフェで、カフェラテとか飲むのが好き。
西鉄久留米駅のタリーズカフェとかよく行きます。
国立久留米高専機械科24期卒。
大手企業で家電部品とかの設計とかしてました。
曲調
LedZeppelin、U2、THE YELLOW MONKEYに影響を受け、ALLジャンル的な楽曲を制作。
幻想的で、心地よい音楽、季節感のある音楽、風景のある音楽、愛のある音楽を目指しています。
ライブ歴
福岡市のBIG HITと言うライブハウスで打ち込み、弾き語りライブを10回程度。
名義:TAKAMITSU HAMADA
久留米市のチアーズにてアコースティックライブ
久留米市のスーパースタジオにて、打ち込み、アコースティックライブ
久留米市のブラッセリー三世にて、アコースティックライブ
1998.2.15 久留米市のサウンドフロンティアVol5で文化センター共同ホールで三番目に出演してライブしました。
THE YELLOW MOKEYのレインボウマン、I can be shit a mama、楽園
Led Zeppelinの天国への階段
オリジナル曲:Keep on、Another Townをソロでライブしました。
カラオケはシーケンサーで鳴らして、
G&Lのレガシースペシャルを弾きながら歌いました。
名義:THE Airth(ジ・アース)
1999.9.19 長野県駒ケ根市の洋風居酒屋ノアノアでワンマンライブ
名義:アイニイキルZmark2
1999.10.31今は亡き渋谷屋根裏で対バン形式ライブしました。
名義:THE BLUE STAR ENGINE
路上ライブ歴
久留米市一番街
福岡市長浜公園、福岡市中洲、福岡市親不孝通り前の吉野家前
熊本市
兵庫県明石大橋下
大阪ひっかけ橋
東京都、JR渋谷駅前、新宿コマ劇場前
山梨県甲府市、JR甲府駅前、岡島デパート前商店街
長野県駒ケ根市、JR駒ヶ根駅前、JR松本駅前
今は路上ライブも、ライブステージもやって無いです。
メディア歴
1998.12.26 山梨県甲府市のFM-KOUFUの電撃TAMAGOに1998.12.26に出演
オリジナル曲を7曲放送。
名義:浜田敏宏
生い立ち
久留米市出身、祖母は小早川家出身
久留米城主:小早川秀包(ひでかね)と繋がりがあるかも。
小早川秀包はキリシタン大名で、当時久留米市には沢山のキリスト教会があったらしいです。
大宰府天満宮とかも建立したのが、小早川隆景らしいです。
こちらもつながりあるかは不明です。
濵田家:家紋:丸に蔦:清和源氏:公家を作った家柄。第56代清和天皇の系譜。
親戚:小早川、案納、庄籠、岸本、平岡、松崎、寺崎、鈴木、八尋、丸山、青木、他。
本名:濵田敏宏の由来
俊敏で心の広い人になるように名付けたらしい。
アイニイキルZmark3の由来
愛に生きるって言う意味。愛に飢えてたから、愛に生きようかなみたいな。
Zmark3はガンダムのZガンダム辺りから名付けてどんどんパワーアップした感じ。
一応、日本聖公会の久留米聖公教会信徒で、洗礼名はエゼキエル。
聖公会は英国王室の関係の深い、英国国教会の系列です。
キリスト程では無いけど、愛に生きたいかな。
でも、あんな悲惨な生涯は真似出来ないかも。
母方の叔父は三井物産元会長、経団連元副会長の故・八尋俊邦さん
その母君の実家が中島医院
祖父:初次は朝日丸という大きな船で門司~大阪間で海運業を経営。
今後:
世界デビューを果たし、事務所も個人で立ち上げたので、
今後、このビジネスを拡大して行ければと思います。
以上。
活動エリア: 久留米市 福岡県出身地: 久留米市 福岡県結成年: 1982年
メンバー
アイニイキルZmarkⅢ役割: 作詞者, 作曲者, プロデューサー, レコーディングエンジニア, ミキシングエンジニア, マスタリングエンジニア, ギター, ボーカル, プログラミング
Rulurant-music



